Doubt everything.
感 情 廃 棄 物
2008年 06月 10日 (火) 01:23 | 編集
ACIDMANのアルバム三枚(創、equal、green chord)を大人買いしてみた。今日一日これが届くことだけを楽しみに過ごしたよ。でもって頑張って早く帰った。
意外とパンクっぽいテイストの創が今のところ一番気に入ってるかも。私パンクあんま好きじゃないんだけどな。「青春」とか言ってないからいいのかな。青春パンクみたいのが駄目なんですええ。そういう捻りの無いというか、そのまま出してしまう品の無さ、もうちょっとメタファーとか使ってくれ!恥ずかしい!と思ってしまう。すいませんひねくれてて。
ACIDMANは全体的にお上品だね、音も歌詞も。でもそれでいて“降る秋”なんかでは叫ぶように歌ってたりなんかもしてその辺の温度が気持ちいい。

ACIDMAN - 赤橙

好きだなー。
この曲からは“少年”を強く感じるなあ。「黄金色に輝く音をいつか奏でよう」ってフレーズからかな?
ZIGZOの“flow”の「初めて吐いた嘘 初めて弾いたギター 罪深き音色が響き出した」ってフレーズを思い出した。
あと「赤い煉瓦をそっと積み上げて もう一度魔法をかけてみる」って部分にちょっと物悲しさを感じた。
「たった今、ここから全てをやり直せるなら もう一度でも 何度でも」?

しかし大木氏は本当にいい感じにぼかして書くなあ。なんとなくは嗅ぎ取れる程度の難解さ。


私はどうも文学とは糖衣みたいなもんだと思ってるみたいだなと最近思った。
不細工で苦い現実を、言葉で糖衣して口当たり良く美しく着飾らせるんだ。


しかし私は前回の投稿分といい、なんか女版ローゼンみたいなこと言ってますねw
至高の少年とか作るべきですか?
そういやすっかり少女といえばアリスがお手本みたいな感じですが、少年のお手本って誰でしょうね。トム・ソーヤーとかそのへん・・・?いや、うーん、ちょっと健康的に過ぎるなあw
個人的には「文学性」と「内向性」も持ってて欲んだよなあ。神経質な人、結構好きなんだ。だから単純に正義感が強くて冒険好きでも駄目かも。そういや私、武装練金のカズキなんかもいい子だとは思うんだけど、特別好きではないんだよなあ。彼はネアカ過ぎる。多分近くにいたら私みたいに神経症的な人間は疲れるよあれはw
どちらかというとちょっと卑屈なとこがあったりする剛太のが好きかもしれない。ってことはそこまでステロタイプな少年性を求めてるわけでもないのかな。
あーあと「ああなりたい」とか「あそこに行きたい」とかそういう思いは大事だな。何か自分より大きいもの、高いところにあるものを見上げててほすぃ。



閑話休題。
前もちょろっと書いたけど、よく人から言われることについて。

■「何考えてるかわからない」
これはあんまり仲良くない人からよく言われるんだけどもw、多分それはわからないようにしてるからだよなあと思う。部分的に感情と表情のリンクを切ってる感じ。わかられちゃうと多分それはそれで碌なことにならないことを学習してるんでね。本当は全部切れればいいんだけど、なかなかそうもいかない。
あと別に楽しくも無いのに周りに合わせて笑ったりするのもアホくさいので基本的に無表情な所為かもしれません。だってどうでもいいじゃん、芸能人とか誰と誰が付き合ってるとか特に仲良くも無い他人のことなんてさ。
・・・纏めるとつまりKYってことですね。わかります。
因みに医者曰く「普通この病気の人はいつもニコニコして人から嫌われないよう愛想良くしてるんですけどねえ、あなたは珍しいタイプですね」だってさ。いいんだよ、そういうのは疲れるからやめたの。

■「病気には見えない」
うん、まあ、これはあれですよ。頑張ってるからですよw
でも逆に言うと頑張ってもこれが限界。ちょっとしたことでボロが出るし、“皆と仲良く”ってのが出来ないから、仲良くない人からはちょっと頭がおかしいとか思われてるんじゃないかなw
あと割となんでも書いてる・話してると思うかもしれないけど、これでも本当に書きたくないことは書いてないし言ってないんでね。ファッションメンヘラじゃねーっすよ。ただ私が何をやってるかを全部知られたら確実に嫌われる自信があるから可能な限りは隠してるだけ。

「my sweetest friends, everyone i know goes away in the end 」って、ね。



今ちょこちょこ読んでいる本
毒になる親―一生苦しむ子供
まあタイトルから大体のことは判ると思うんですが、詳細はリンク先でどうぞ。
でもって、この本の中で、回復へのプロセスのひとつとして声に出して言ってみることを推奨してるのが以下の文。

「私は、いつの日か自分の家が幸せな家庭になってくれたらという幻想を、いまここに捨てる。私は、もし親がああではなかったら、もしこうだったなら、などという希望や願望を、いまここに捨てる。私は、子供の時に親を変えるために何か出来たのではないかという幻想を、いまここに捨てる。私は、愛情ある素晴らしい親を持つことは永久に無いであろうということを、いまここにはっきりと自覚する。私は、そのような親を持てなかったことを、深く悲しむ。だが私は、この現実をそのまま受け入れる。そして私は、全ての幻想には永遠に、そして心静かに、別れを告げる。」

・・・これは・・・きついよ・・・ (´・ω・`)
今ちょっとガチで涙出てきた!
でも日本は儒教がそうとは気付かれずに根ざしている所為か、子供がこういうことを言うのはタブーのようになってるけど、でも現実にこういうストレスは存在するし、ストレスは出さずにいると溜まっていつかは爆発するので、こういうことを指摘してくれる本があるのは良いことなのだろうなと思う。
というか皆、もっと常識を疑おうぜ!「悪いことになってるから悪い」でもまあいいっちゃいいんだけど、でもできたら一度くらい「じゃあ何で悪いことになってるんだろう?誰にとって悪いんだろう?」とか考えようぜ!
とか、結構そのあんまり納得いかない常識の所為でひどい目に遭った気がするので力説してみる。
Comment
この記事へのコメント
幻想との訣別
随分昔に、自分の日記でも書いた内容に関して
(本題とは完全にずれてしまったのですが)
親子の愛情について激しく論議した事があったのを
思い出しました。

オレが、「親が子供を愛するのは、全くもって、
“自然”な事ではない」と書いたのですが、
この点をまるで理解出来ない方がいらっしゃったものですから。
その方は、「親が子供を愛するのは当たり前」と
極々無邪気に口にし続け、オレとはその点で同意し合う事は
全くありませんでした。

オレは今でも、そして、これからも、
上記の主張を翻す事は在り得ません。
理由は色々ありますから此処では逐一語りませんが。

そういった“幻想”がいかに強く
一般に浸透しているのかを見て、げんなりさせられたものです。
2008/ 06/ 11 (水) 20: 19: 42 | URL | Noir # -[ 編集 ]
ガキの頃は、神経性胃炎にいつも
なっていたなぁ。

保健室に『おなかが痛い』といって
いつも駆け込んでいたら、
それは胃炎だというオチ。

反面、成長するとともに、その手のもの
とは無縁になり図太く生きている
わけなんですが・・・

漫画『カイジ』の名言。

ビルとビルの間の鉄骨をわたる時。
『こんなこと通常の神経ではできるはずは
ない。手術に麻酔が必要なように、
精神を麻痺させるんだ』という言葉が
大好きです。

常軌を逸した状況には、
神経の一部を麻痺させて対応する
しかないんですよ、きっと。

多分、それは技術。

まぁ・・・『全身麻酔』して、そのまま
突っ走っている馬鹿も多いけど。。。
2008/ 06/ 13 (金) 13: 33: 09 | URL | will # -[ 編集 ]
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